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ゆとり系ポンコツラーメン

ゆとり世代の投資家junがお届けする、投資からはぐれてポンコツラーメンをすするブログ。

従妹が結婚すると報告しに来たんだけど正直な話していい?



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ついに来た。

従妹が結婚するそうだ。

僕は一瞬驚いてすぐに「おめでとう」と言ったけど、正直な話していい?

ふーん

別に従妹が嫌いなわけじゃない。

小さいころからずっと遊んできた幼馴染。

社会人になってからは、会う機会が減ったくらい。

でも初めてその報告を聞いたとき、一瞬驚いて、「おめでとう」といった後に、『ふーん』って思った。

思ってしまった?

社会人ともなると、これまでの交友関係がどんどんと無くなっていってしまう。それが普通なんだろうけど、なんか人のやることに無関心になっていくというか。

「自分の人生を生きる」って言ってフリーランスになったけど、それって裏を返せば、「どんどん他人に無関心になっていく」ってことをはらんでいるような。

そしてその症状ともいうべき事態が、今まさに起きた。

起きてしまった。

『ふーん』

『ご祝儀いくらだろ』

『式とかやるのかな?イベントと被りたくないな』

コンマ何秒の世界で頭をめぐったのは、たぶんこれだけじゃない。あと50個くらいは浮かんだかもしれない。

でもその全てにおいて、自分の都合だけが頭をよぎった。

正体

「人のやること為すこととか、別にどうでもいいな」と思えるようになって、生きやすくはなった。「自分の人生に焦点当てて、好きなように生きれればいい。」って常に思っている。

でも、生きやすさにだって、ちゃんと副作用はあるような気がする。

ままならぬ何かが。

その「ままならぬ何か」の正体を今日知った。

感受性の弱体化だ。

それも過度な。

物を強く感じる力といえばいいのか、何か外の変化や刺激に対する感じ取る力みたいなものが、著しいまでに弱くなっていたんじゃないかと。

幼馴染の従妹が結婚する。普通なら「おめでとう」と言って、「相手は誰?」とか、「結婚式やるの?いつ?」とか聞いたり、感極まって涙を流すような、そんな状況であるはず。

なのに、しょっぱなで『ふーん』って思ってしまった。「どうでもいい」が、どうでもよくないことまで「どうでもいい」になってしまったような。

まとめ:これが普通なのかな?

でも、どうなんだろ。

確かに従妹が結婚することはめでたいことだけど、僕の人生にはまったく関係ないことは事実だから。

でも、ね。

健全なことが不健全なこともある、と言えばいいのかな。少なくとも"そう"感じ取れるくらいには、まだ普通なのかな。